名古屋地方裁判所 平成10年(ワ)2767号 判決 1999年11月17日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
福島啓氏
同
米澤孝充
右福島啓氏訴訟復代理人弁護士
加島光
被告
愛知県
右代表者知事
神田真秋
被告
名古屋市
右代表者市長
松原武久
右両名訴訟代理人弁護士
大場民男
被告名古屋市訴訟代理人弁護士
鈴木匡
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、連帯して、金三〇〇万円及びこれに対する平成一〇年四月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和五一年三月、愛知教育大学教育学部保健体育学科を卒業し、同年四月、名古屋市教育委員会から名古屋市立千成小学校の教諭に任命され、名古屋市立大高北小学校勤務を経て、平成八年四月から、名古屋市立名北小学校(以下「名北小学校」という。)に勤務するようになり、平成一〇年四月当時も同校の教諭として勤務していた者である。
なお、原告は、小学校教諭に任命された昭和五一年四月から平成一〇年三月までの二二年間にわたり、毎年度ごとに学級担任を希望してきたが、これまで右希望が容れられなかったことは一度もなかった。
2 原告は、平成一〇年三月七日、平成一〇年度の校務分掌においても学級担任を希望した。
ところが、同年四月一日に名北小学校に赴任してきた園田保雅校長(以下「園田校長」という。)は、原告に対し、同月三日、学級担任を命ぜず、専科教員として、週に体育一五時間、読書二時間、書き方三時間の授業を担当するように命じた(以下「本件措置」という。)。
3 本件措置の違法性
(一) 校長の義務違反
学級担任を持つことは、小学校教員としての基本的な勤務条件あるいは教育の自由に内在する権利であるから、校長は、学級担任を希望する教員に対し、学級担任を持たせる義務がある。
したがって、園田校長が、原告に学級担任を命じなかったことは右義務に違反するものであり、原告の小学校教員としての勤務条件あるいは教育の自由を侵害するものであって違法である。
(二) 適正手続違反
教育基本法一〇条一項が「教育は不当な支配に属することなく……行われるべきものである。」と定めていることからすれば、学級担任、副担任のように教師の教育活動にかかわる重要事項は、校長の独善化を防ぐために、職員会議で審議したうえで校長が決定すべきであり、また、当該教員に対し、告知、聴聞の機会を設けるべきである。
しかし、園田校長は、職員会議での審議を経ずに、また、原告に告知、聴聞の機会を与えることなく本件措置に及んだものであり、右の適正手続に違反したものであるから、本件措置は違法である。
(三) 園田校長の裁量権濫用、逸脱
仮に、小学校においては校長が校務分掌権限を有し、個々の教員に学級担任を命ずるか否かも右権限に含まれているとしても、校長の校務分掌権限は形式的かつ限定的であって、校長の裁量の範囲は極めて狭いものと解すべきところ、本件措置は、次に述べるとおり、右裁量権を濫用し、逸脱したものであるから違法である。
(1) 原告は、名北小学校に勤務するようになり、自動的に名北小学校PTA(以下「名北小PTA」という。)の会員となった。
(2) 原告は、平成八年度の名北小PTAの経理に不審な点があるとして、名北小PTAに対し会計帳簿の閲覧を求めたが、これを拒否されたため、他の四名の名北小PTA会員とともに、平成九年一〇月三一日、名北小PTAを被告として、名古屋地方裁判所に会計帳簿閲覧請求訴訟を提起した。また、原告は、当時の名北小PTA会長伊藤辰之(以下「伊藤PTA会長」という。)が、PTAの役員を使って、名北小PTA会員ら不特定多数の者に対し、右訴訟を提起した五名を誹謗、中傷したとして、伊藤PTA会長を被告とし、前同日、名古屋地方裁判所に慰謝料請求訴訟を提起した(以下、右二つの訴訟を併せて、「PTA等に対する裁判」という。)。
(3) 園田校長は、原告らがPTA等に対する裁判を提起したことを理由として、原告に学級担任を命じなかった。
しかし、教員が自己の所属する小学校のPTA等に対して裁判を行うことにより不利益を被るのであれば、教員は自己の権利を実現することが不可能になってしまう。
そもそも、訴訟を提起することは、憲法三二条に定められた国民の基本的な権利の行使であるから、本件措置は原告の基本的人権を侵害するものであり、園田校長の校務分掌権限を濫用もしくは逸脱したものである。
4 原告は、本件措置によって著しい精神的苦痛を被ったが、これを金銭に評価すれば金三〇〇万円を下らない。
5 右4の損害は、園田校長がその職務を行うについて原告に与えたものであるところ、園田校長は被告名古屋市の公務員であり、その給与等の負担者は被告愛知県である。
6 よって、原告は、被告名古屋市に対しては国家賠償法一条により、被告愛知県に対しては同法三条により、連帯して、金三〇〇万円及びこれに対する不法行為(本件措置)の翌日である平成一〇年四月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1のうち、原告が毎年度ごとに学級担任を希望していたことは知らないが、その余の事実は認める。
2 同2の事実は認める。
3(一) 同3(一)、(二)の主張は争う。
(二) 同3(三)(1)の事実は認める。同3(三)(2)の事実のうち、原告が名古屋地方裁判所にPTA等に対する裁判を提起したことは認めるが、その余の事実は知らない。同3(三)(3)の事実及び主張は否認ないし争う。
なお、園田校長が原告に対して学級担任を命じなかったのは、PTA等に対する裁判を提起したこと自体ではなく、そのことによって、結果的に保護者の信頼を失ったこと等によるものである。
4 請求原因4の主張は争う。
5 請求原因5の事実及び主張のうち、園田校長が被告名古屋市の公務員であること及び園田校長の給与等の負担者が被告愛知県であることは認めるが、その余の主張は争う。
三 被告らの主張
1 名北小学校の学級数と教職員定数について
(一) 公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律(昭和三三年法律第一一六号)は、学校ごとの教職員定数について学級数を上回るように定めている。
したがって、何名かの教員が学級担任を希望しないなどの事情がない限り、学級担任を希望した教員全員に必ず学級担任を命ずることはできないのであり、どこの小学校においても学級担任を持たない教員が生じるのである。
(二) 平成一〇年度の名北小学校の学級数は一八学級であり、校長、教頭及び教諭の数は二五名であったから、校長を含めた七名は学級担任を持たないことになる。
そこで、園田校長は、校長、教頭、教務主任、校務主任、専科として体育を中心とした指導を行う者一名(原告)、理科・生活科を中心とした指導を行う者一名及び算数のチームティーチングの教員一名を、学級担任を持たない教員とした。
なお、専科教員とは、愛知県教育委員会の平成一〇年度小中学校教職員定数配当方針(以下「県の配当方針」という。)により配置されるものであり、小学校では、基本的に、「担当教科は、音楽・図画工作・体育・家庭又は理科とする。」と定められている。
2 原告と保護者らとの信頼関係の喪失について
(一) 原告らがPTA等に対する裁判を提起したことで、名北小学校の多くの保護者及び地域(学区)の住民(以下、両者を併せて「保護者ら」という。)は大変驚き、このことが契機となって、平成一〇年二月二三日、名北小学校の保護者らから、名古屋市教育委員会に対し、原告に対する不平、不満、不信を訴える署名簿や陳情書等(乙第一ないし第二一号証)が提出された。
ところで、小学校教育において、学級担任は児童生徒に対して極めて強い影響力、支配力を有しているが、保護者らは、学級担任について、その人となりなどに不平、不満、不信があったとしても、子供が現にあるいは将来その教員のもとで教育指導を受けることから、穏やかに接したいと願うのが一般的な心情である。それにもかかわらず、多くの保護者らが、学級担任に対して公然と不平、不満、不信を表明した場合は、学級担任のそれまでの態度(例えば、自己主張と独善に固執する態度等)により、保護者らの信頼が失われたことを明らかにしているものというべきである。
(二) 園田校長は、平成一〇年三月二五日及び二七日に事務引継の準備のため名北小学校を訪れた際、名北小学校の前校長である佐藤校長(以下「佐藤前校長」という。)から、原告に対する不満や不信を訴える保護者らからの署名簿や陳情書等が名古屋市教育委員会に提出されており、また、佐藤前校長が、原告に対し、同月一〇日、「保護者からの陳情書及び要望書について」と題する書面(乙第二二号証)を交付して、今後はこうした態度を改めて保護者らとの信頼を回復するように努めるとともに、円滑な学校経営に協力するよう指導したが、依然として改善がみられない旨の報告を受けた。
3 本件措置について
義務教育課程における児童、保護者らには、学校や教員を選択する余地がないから、校長、学校側に、児童、保護者らに対する適切な教育的配慮をなすべき責任がある。
そこで、園田校長は、右1、2の事情を考慮した結果、原告と保護者らとの信頼関係が非常に希薄な状態にあり、平成一〇年四月三日の時点において、原告が学級担任として指導効果を上げる要件が整っているとは考え難く、原告に学級担任を任せることは学級運営に支障を来すにとどまらず、児童への影響も大きいと判断して、原告に対し、学級担任を命じないこととした。
そして、原告が所持している教員免許状(保健体育、ただし、中学校)及び人権教育に対する原告の希望を配慮し、原告に対しては、一週間に体育一五時間、読書二時間、書き方三時間、クラブ活動一時間、委員会活動隔週一時間、合計一週間当たり21.5時間の指導のほか、三年生の所属としての業務(遠足の引率、教材の購入等)及び校務分掌に位置づけられた業務(人権教育、交通安全等)を担当させることとした。
なお、原告の主な授業科目である体育は、県の配当方針にもあるとおり、専門科目として設置する必要性の高い教科である。
4 校長の校務分掌権限について
学校教育法二八条三項は、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」旨定めている。すなわち、校長は、学校の最高責任者として、その権限と責任のもとに教育活動を行うのであって、右権限には、個々の教員に対し学級担任を命じあるいは命じない権限も含まれている。
そして、校長は、教育活動の目標達成に向けて校務を能率的、効果的に実施するため、個々の教員の能力、適性、他職員との協調性及び保護者との信頼関係等を総合的に考慮して、右の権限を行使するものである。
したがって、当該教員に学級担任を命ずるか否かは、本人の同意や了承を得てなされるものではなく、校長の極めて広汎な裁量にゆだねられているものであるから、園田校長が本件措置を決定するに当たり、原告に告知、聴聞の機会を与えなかったとしても何ら違法ではない。
また、小中高等学校の職員会議は、大学の教授会とは異なり、校長が校務を運営していくうえでの補助機関にすぎず、校長は職員会議の意見に拘束されるものではないから、本件措置について職員会議の審議を経る必要もない。
しかして、校長の裁量権の行使に基づく措置については、当該措置が社会通念上著しく妥当性を欠き、右裁量権の範囲を逸脱し、あるいはこれを濫用したと認められる場合に限り違法であると判断されるべきところ、園田校長は、前記3記載のとおり、原告と保護者らとの信頼関係が喪失していることや、原告の教員免許状等を考慮して、名北小学校の教育効果が最も上がるように、原告を体育を中心とした専科教員としたものであるから、校長に付与されている裁量権を適切に行使したものであり、裁量権の範囲を逸脱あるいは濫用したものではない。
四 被告らの主張に対する原告の反論
1 原告と保護者らとの信頼関係の喪失について
被告らは、原告らがPTA等に対する裁判を提起したことで、原告と保護者らとの信頼関係が喪失したと主張するが、本件証拠上、認められる信頼関係喪失の事実は明らかでない。
被告らが信頼関係喪失の根拠としてあげている署名簿や陳情書等(乙第一ないし第二一号証)は、すべて署名部分が黒塗りになっているところ、署名簿や陳情書等は、本来、その趣旨に賛同する者が自己の署名を明らかにすることによって自己の考えを表明するものであるから、右のように署名を明らかにできないものは署名簿や陳情書等としての意味をなさないものである。
右の署名簿や陳情書等は、名北小PTA役員らが、自己の保身のために虚偽の署名運動を起こして、原告を不当に追い込もうとしているものと推測される。
また、右のような文書は真正に成立したものとはいえない(民事訴訟法二二八条四項)から、右の各証拠により、原告と保護者らとの信頼関係の喪失を認定することはできない。
さらに、原告は、保護者とのクラス懇談会及び個別懇談会等で、保護者から原告の活動について不満を述べられたことはない。
したがって、原告と保護者らとの信頼関係は全く喪失していない。
2 本件措置が報復人事であることについて
専科とは、専門的教育を行うものであり、中学校での教育を念頭においており、小学校の教育課程において専科という概念はなく、教員の免許状も全教科ということで受けているが、音楽など特殊な技巧等を必要とする科目に限定して、小学校においても専科の授業が設定されている。
名北小学校では、高学年の理科では危険な実験を行うことから、理科・生活科という専科教員を設置しているが、原告が専科として任命された体育や読書などは、音楽や理科と比較すれば専科として設置する必要性は低い。
現に、原告を体育の専科教員としたために、音楽の専科教員を設置することができなくなり、楽器で伴奏することができない教員のクラスでは、児童が伴奏して授業を行うという異常な事態が生じている。
また、被告らは、佐藤前校長が、原告に対し、「保護者からの陳情書及び要望書について」と題する書面(乙第二二号証)を交付し、原告の言動につき指導したのに改善がみられないことも本件措置の理由としているが、右の指導がなされたのは平成一〇年三月一〇日のことであり、同月二五日に春休みに入った後、同年四月三日に本件措置がなされたのであって、このような短期間で改善がみられないとすることは妥当でない。また、園田校長は、原告に対し、右の改善指導について何ら確認していない。
右の各事実からすると、本件措置は、原告らがPTA等に対する裁判を提起したことのみを理由とする報復的人事としか考えられないものである。
第三 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因1の事実(ただし、原告が毎年度ごとに学級担任を希望していた事実を除く。)、同2の事実、同年3(三)1の事実及び同3(三)2の事実のうち、原告が名古屋地方裁判所にPTA等に対する裁判を提起したことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 右当事者間に争いのない事実に、甲第一ないし第三号証、第五、第六号証、第七号証の一、二、第八号証、乙第一ないし第二五号証、証人園田保雅の証言、原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。
1 原告と保護者らとの信頼関係の喪失等について
(一) 原告は、名北小学校において、佐藤前校長の指示に従わなかったり、佐藤前校長や他の教員に対して、自己の主張を一方的に述べたり、高圧的な態度を示すことがあった。
また、原告は、四年生の学年主任をしていた平成九年度の夏休み、名古屋市内の公立小学校のほとんどが夏休み中の課題にしている「夏の生活」を教材として使用しなかったが、クラスの生徒の保護者が原告にこのことを質問すると、原告は、「そういうことを尋ねるのは、私の人権を侵害している。」、「そういうことを言うなら法的な手段に訴える。」などと声を荒げたことがあった。
(二) 原告は、平成九年一〇月三一日、名北小PTAの会計に不審な点があるとして、名北小PTAの会員四名とともに、名北小PTAに対し、会計帳簿の閲覧を求める訴えを、また、伊藤PTA会長に対し、名誉毀損を理由とする損害賠償を求める訴えを、それぞれ名古屋地方裁判所に提起した。
(三) 名北小PTAの歴代会長らは、平成一〇年一月、「名北小の子供を守る会」を結成し、要旨、「昨年度、名北小学校に、自分の考えに沿わないと何かにつけて争いごとにしようとする先生が赴任され、先生方の『和』が取りにくい状態になっていると聞いて、大変心配されるところです。その先生は、法律をかざし、自己本位の主張を繰り返し、校長先生すら『指導』しようとするなど不遜な態度があると聞いています。また、その先生は、名北小PTAを相手に裁判を起こし、その行為を正当化するために、学区内の多くの家庭に名北小PTAを中傷するビラを投入しました。このように、学校内の些細なことまで取り上げて執拗に追求したり、PTAの内政に関することを法廷に持ち込むことは、学校の先生や学校教育の本来の目的からかけ離れたものと言わなければなりません。私たちは、このような考えのもと、子供たちを守り名北小学校の正常な教育活動を取り戻すために、名北学区及びその周辺にお住まいの皆様方のご意見を結集し、学校並びに公的機関にこの思いを届けていきたいと考えております。」(乙第一号証)、「名北小学校では、先生が保護者と裁判で争ったり、学校の中で先生方が対立したりという問題が起こっています。いずれの問題も子供たちにとっては何の利益もなく、ただ損失のみがもたらされるという事態が予測されますので、私たち地域住民が『子供を犠牲にしない』という観点に立って、この問題に対処していくべきではないかと考えています。私たちは、このような考えのもと、名北小学校に正しい教育活動がもたらされること、そして大切な子供たちを守っていくことを最優先の課題とし、名北学区及びその周辺にお住まいの皆様方のご意思を結集し、公的な機関にもその願いを届けていくことにより、この問題の解決を図っていきたいと考えています。」(乙第二号証)と記載した署名簿を作成して、名北小学校の学区住民等から二八〇〇名余りの署名を集めた。
また、名北小学校の保護者らから、右の名北小の子供を守る会に対し、要旨、「ある学年の女の子数人は原告が怖いという話も聞きました。保護者としては安心して子供を学校に通わせたいです。」、「自分本位の主義、主張を繰り返し、周りの先生方と対立しているような先生では、人との協調性、子供らしい人格を育てることはできないと思います。名北小学校にいてほしくありません。」、「原告に子供を託すことに抵抗を感じます。先生として信頼することができないからです。」、「原告に自分の子供の担任になったら嫌だというのが本音です。」、「こういう先生に子供を預けたら子供の人格が変わってしまうんじゃないかと恐ろしい気がします。原告が担任になったら一年間学校に行かないと子供が言っているので困っています。」などと記載した手紙(乙第四ないし第二一号証)も多数寄せられた。
しかして、名北小の子供を守る会は、同年二月二三日、名古屋市教育委員会に対し、右の署名簿及び手紙を提出するとともに、名古屋市教育長に対し、原告を子供たちに関与できない職場に異動させてほしい旨の陳述書(乙第三号証)を提出した。
(四) 佐藤前校長は、平成一〇年二月二四日、名古屋市教育委員会から右(三)の事実を知らされた。
そこで、佐藤前校長は、同年三月一〇日、原告に対し、要旨、「教員が保護者や地域住民からこのように不信の念を抱かれる事態はたいへん遺憾であり、あなたが一日も早く保護者らの信頼を回復するとともに、本校の正常な学校経営を取り戻す必要があると考えました。そもそも今日の事態に至ったのは、日ごろの保護者などに対する高圧的な態度、私や教頭に対する反抗的な態度、また、校務に非協力的なこと、他の職員の声に耳を貸さないといった協調性に欠ける態度などに起因していると私は考えます。今後はこうした態度を改め、保護者らの信頼回復に努めるとともに、円滑な学校経営に協力するよう指導します。」と記載した「保護者等からの陳情書及び要望書について」と題する書面(乙第二二号証)を交付して、従前の勤務態度の改善を促した。
(五) 園田校長は、平成一〇年三月下旬、同年四月一日付けで名北小学校の校長に補される旨の内示を受けた。
そこで、園田校長は、同年三月二五日及び二七日、事務引継の準備のため名北小学校に赴き、佐藤前校長及び名北小学校教頭から、同校の現況、職員の勤務状況などを中心に説明を受けたが、その際、原告らがPTA等に対する裁判を提起していること、原告に対して多くの保護者から不平、不満、苦情が寄せられてること、名北小の子供を守る会から名古屋市教育委員会に対して署名簿や陳情書等が提出されていること、原告と保護者らの信頼関係が著しく喪失しているため、佐藤前校長が原告の勤務態度について改善指導を試みたが、原告はこれに応ずる様子がなく改善の兆しがないことを聞かされた。
2 学級担任の決定方法について
(一) 小学校に配置する教員数についての県の配当方針によれば、校長は各校に一名と定められているが、教頭及び教員については、平成一〇年度小学校教職員定数配当基準表(学級対応分)により学級規模に応じて配当するものとされ、四、五、九ないし一一、一五ないし二一学級の学校には専科教員が加配されること、専科教員の担当教科は音楽・図画工作・体育・家庭又は理科であること、一七学級以上の学校では、チームティーチング等新しい指導方法を導入する学校及びその実践校として実績があると愛知県教育委員会が認めた学校に、チームティーチング対応教員が一人配置されることなどが定められていた。
(二) 名古屋市内の公立小学校では、児童の発達段階を考慮し、一人の教師が中心となって一クラスの生徒を指導する学級担任制が採用されているため、当該クラスの児童に対する学級担任の影響力は極めて強く、そのため、どの教員が学級担任になるかは児童及びその保護者の重大関心事であるのが通常である。
しかして、小学校の校長は、県の配当方針及び当該学校の実態を踏まえ、最も教育効果が上がるように、専科教員やチームティーチングの科目を選択し、学級担任を決定するのであるが、まず学年末に、各教員から次年度の学級担任に関する希望を調査し、右調査の結果を参考にして、教頭、教務主任、校務主任と協議し、定員の配置状況や教員個々の能力、特性、他の教員との協調性及び児童、保護者らとの信頼関係等を総合的に検討したうえで、学級運営が円滑に行われ、児童に対する最善の教育効果が得られるように個々の学級担任を決定するのが一般的な取扱いであった。
なお、年度末の人事異動で校長が転任する場合は、前任校長が学級担任の任命を含む次年度の校務分掌の原案を作成し、新任校長は、前任校長より引き継いだ右原案に検討を加えたうえで、当該年度の校務分掌を決定するのが通常であった。
3 本件措置について
(一) 平成一〇年度における名北小学校の学級数は一八学級であり、養護教員を除いて合計二五名の教員が配置されていたため、校長、教頭、教務主任及び校務主任の四名を除くと、三名の教員が学級担任を持たないことになった。
(二) 原告は、小学校教諭に任命されてから二二年間にわたり毎年度ごとに学級担任を希望し、これまで学級担任を外されたことは一度もなかった。そして、原告は、平成一〇年度の校内人事についても、平成一〇年三月七日、三年生の学級担任を希望する旨記入した希望表を名北小学校教頭に提出した。
しかし、佐藤前校長は、原告と保護者らとの信頼関係が喪失しており、原告に従前の勤務態度を改める兆しがみられないため、原告には学級担任を命じない旨の平成一〇年度の校務分掌に関する原案を作成した。
(三) そして、佐藤前校長の後任者である園田校長も、原告と保護者らとの信頼関係は著しく希薄であり、原告に学級担任を任せることは学級運営に支障を来し、児童に及ぼす影響も大きいものと考え、原告が保健体育(ただし、中学校)の教員免許状を有していることを考慮して、名北小学校教頭、教務主任、校務主任らとも協議のうえ、原告には学級担任を命ぜず、原告を体育の専科教員とするのが学校運営上最も適切であると判断した。
そこで、園田校長は、平成一〇年四月三日、原告に対し、一週間のうち体育一五時間(五クラス)、読書二時間、書き方三時間、クラブ活動一時間、委員会活動隔週一時間、合計一週間当たり21.5時間の指導のほか、三年生の所属としての業務(遠足の引率、教材の購入等)及び校務分掌に位置づけられた業務(人権教育、交通安全等)を担当を命じ、学級担任は命じなかった。
なお、園田校長は、平成九年度に専科として設置されていた音楽の教員一名に学級担任を命じ、音楽を専科から外したが、その代わりに体育を中心とした専科教員一名(原告)のほか、理科・生活科を中心として指導する専科教員一名を設置した。
また、チームティーチングの科目は、平成九年度は理科であったが、平成一〇年度は算数とし、これに教員一名を設置した。
三 学級担任の任命に関する校長の裁量権について
1 小学校における校務分掌については、学校教育法二八条三項が「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」と定めているところ、校長の右権限中に、校務分掌に関する組織を定めて所属職員にその分掌を命じ、校務を処理することが含まれるのは明らかであるから、校長は、個々の教員に対して学級担任を命じ、あるいは命じない権限を有するものというべきである。
そして、校長が、個々の教員に対して学級担任を命ずるか否かを決定するためには、学校教育の目的が効果的かつ円滑に実施されるように、当該学校に配置された個々の教員の能力、適性、性格等の各種の要素、他の教員との協調性、児童、保護者との信頼関係及びその他一切の事情を総合考慮することが必要であるから、右の権限の行使は校長の裁量にゆだねられているものというべきである。
したがって、個々の教員に対し学級担任を命ずるか否かの校長の決定が違法となるのは、当該決定が社会通念上著しく妥当性を欠き、右裁量権の範囲を逸脱し、あるいはこれを濫用したものと認められる場合であり、それ以外は、単なる当、不当の問題にすぎないものと解するのが相当である。
2 ところで、原告は、学級担任を希望する教員に対しては学級担任を持たせるべき義務があるとして、園田校長が学級担任を希望していた原告に対して学級担任を命じなかったのは、右義務に違反するものであって違法である旨主張している。
しかし、右1に説示したとおり、個々の教員に学級担任を命ずるか否かは校長の裁量に属する事項であり、校長に原告主張のような義務は存在しないから、原告の右の主張はその前提を欠くものであって失当である。
なお、通常、小学校の教員は学級数よりも多く配置されているのが通常であるから、すべての教員が学級担任を希望した場合にその希望を満足させることは物理的に不可能であるが、仮に、学級数と学級担任を希望する教員数とが一致した場合であっても、校長が、当該教員に対して、学級担任を命ずることにより学級運営に支障が生じると判断した場合には、それが裁量権の濫用あるいは逸脱に該当しない限り、校長の裁量権の行使として、当該教員に対して学級担任を命じないことができるものと解するのが相当であるから、学級担任を持つことが、小学校教員の基本的な勤務条件であると解することはできない。また、仮に、小学校の教員にも一定限度の教育の自由が認められるとしても、学級担任を持つことが右教育の自由に内在する権利であると認めることもできない。
3 また、原告は、学級担任のように教師の教育活動にかかわる重要事項は、職員会議における審議や当該教師に対する告知、聴聞手続が必要であるところ、園田校長は右の各手続を経ていないから本件措置は違法である旨主張している。
しかし、学級担任の任命は校長の校務分掌権限に属するものであるところ、校長は職員会議の審議の結果に拘束されるものではないこと、職員会議の審議を経ることや本人に対して告知、聴聞の機会を与えることについては、これを定めた法令は存在しないことからすると、校長が、学級担任の任命について、職員会議の審議を経ず、当該教師に対して告知、聴聞の機会を与えなかったとしても、そのことだけで当該学級担任の任命措置が直ちに違法になるものではないと解するのが相当であるから、原告の右の主張も採用できない。
四 本件措置が園田校長の裁量権を逸脱あるいは濫用したものか否かについて
1 クラス担任制をとっている小学校の学級担任は、当該学級の学習指導や生活指導を通して児童生徒の健全な成長を支援するものであり、児童生徒の学校生活全般について深いかかわりを持つものであるところ、小学校の児童生徒はいまだ自己を確立する段階にあり、周囲からの影響を受けやすい時期にあるうえ、教員の教育内容を批判する能力に乏しいことを考慮すると、学級担任が当該学級の児童生徒に対して極めて強い影響力を有していることは明らかであるから、小学校における学級担任の役割は児童生徒に対する教育活動上極めて重要である。
そして、児童生徒と教員の信頼関係はもとより、保護者らと教員の信頼関係、さらには保護者らの学校に対する信頼と協力が存しなければ、児童生徒に対する充実した教育が期待できないことは明らかであるから、教員と保護者らの信頼関係も学級担任の決定をするうえで非常に重要な要素のひとつというべきである。
しかして、本件措置は、前記二で認定したとおり、原告の保護者らに対する高圧的な態度、佐藤前校長や教頭に対する反抗的な態度及び他の教職員に対する協調性に欠けた態度等から、一部の保護者らの間では原告に対する不信、不満の念が形成されていたところ、原告らがPTA等に対する裁判を提起したことが契機となって、名北小PTAの歴代会長らが名北小の子供を守る会を結成し、名北小学校における原告と保護者らとの問題の解決を求めた二八〇〇名余りの署名簿及び原告を自分の子供の学級担任にしてほしくない旨等を記載した保護者らからの手紙を名古屋市教育委員会に提出するとともに、原告を子供たちに関与できない職場に異動させてほしい旨の陳情書を名古屋市教育長に提出したことから、佐藤前校長が原告に対し、これまでの勤務態度を改めて保護者らの信頼を回復するようにとの文書指導を行ったが、原告には右の信頼回復に努める兆しが見られなかったため、園田校長において、原告と保護者らの信頼関係は著しく希薄であり、原告に学級担任を任せることは学級運営に支障を来し、児童生徒に及ぼす影響も大きいものがあると考え、原告が保健体育の教員免許状を有していることを考慮して、教頭、教務主任、校務主任とも協議のうえ決定したものであり、前記二で認定した各事実によれば、園田校長のなした本件措置は適切妥当なものであったと認められる。
2(一) 原告は、原告らがPTA等に対する裁判を提起したことを理由として学級担任を命じないことは、憲法三二条の裁判を受ける権利を侵害するものであるから、本件措置は、園田校長の裁量権を濫用、逸脱したものであり違法である旨主張している。
しかし、右1で説示したとおり、園田校長は、原告らがPTA等に対する裁判を提起したことを理由として原告に学級担任を命じなかったものではなく、これまで一部の保護者らの間に形成されていた原告に対する不信、不満が右PTA等に対する裁判の提起が契機となって多くの保護者らに広まったため、右のような状況下では原告に学級担任を命ずることは学校経営上不適切であると判断して本件措置を決定したものであるから、原告の右主張はその前提事実に誤りがあり採用できない。
(二) 原告は、クラス懇談会等において保護者から不満を述べられたこともなく、原告と保護者らとの信頼関係の喪失を認めるに足りる証拠は存在しないうえ、原告を支持する者も多数いるとして甲第一一号証、第一二号証の一ないし三三八の署名簿を提出している。
しかし、前記二に掲記した各証拠を総合すれば、原告と保護者らとの信頼関係が喪失していることは十分認定できるものであり、右甲第一一号証、第一二号証の一ないし三三八も右認定を左右するものではない。また、教員とその教員に児童をゆだねている保護者との関係を考えれば、保護者から教員に対して直接不満を述べることはなかなか困難であるから、仮に、クラス懇談会等において保護者から直接不満が述べられたことがなかったとしても、右事実をもって原告と保護者との信頼が関係が保たれているとは直ちに認めることができない。
したがって、原告の右の主張は採用できない。
なお、原告は、署名簿や陳情書の趣旨、目的からして、署名部分を明らかにしていないものは署名簿や陳情書としての意味がない、被告ら提出にかかる署名簿や陳情書等は、名北小PTA役員らが自己の保身のために虚偽の署名運動を起こして、原告を不当に追い込もうとしているものである、署名部分が明らかにされていない文書は真正に成立したものとはいえないから、右の署名簿や陳情書等によって原告と保護者らとの信頼関係の喪失を認定することはできない旨主張しているが、右中段の事実を認めるに足りる証拠は存在しないし、署名部分の全部又は一部が秘匿されていたとしても、当該書面の形状、記載内容及び提出経緯等から、それが署名者や陳情者によって作成されたものであり、かつ署名者や陳情者の真意を表明しているものと認められれば、その趣旨、目的を達成することが可能であるところ、本件においては、乙第一ないし第二一号証(ただし、乙第三号証を除く。)の形状、記載内容、右各書面が名古屋市教育委員会に提出された経緯及び弁論の全趣旨を総合すると、右乙各号証はいずれも各署名者によって作成されたものであり、かつ各署名者の真意を表明したものと認められるから、原告の右の主張はいずれも採用できない。
(三)(1) 原告は、音楽や理科と比較すれば体育を専科として設置する必要性は低いところ、園田校長が原告を体育の専科教員に設置したことにより、音楽の専科教員を設置することができず、楽器で伴奏することができない教員のクラスでは生徒がピアノを弾いて音楽の授業を進めるという異常な事態が生じている旨主張している。
しかし、前記認定のとおり、体育も専科教員を設置する科目として認められているものであって専門性を有していることは明らかであり、音楽や理科と比較して専科として設置する必要性が低いとは認められず、いずれの科目に専科教員を設置するかは、校長がその裁量により各学校の実態に応じて決定するものであるところ、仮に、園田校長が音楽の専科教員を設置しなかったことで、生徒がピアノを伴奏して授業を進めるクラスが生じたとしても、他方では、体育を専科としたことにより教育効果が向上したクラスも存在したであろうこと及び原告に学級担任を命じた場合に予想される教育上の混乱とを比較すれば、体育を専科として原告にその担当を命じた園田校長の決定に裁量権の逸脱、濫用は認められないというべきである。
(2) また、原告は、佐藤前校長が原告に対して改善指導をしたのは平成一〇年三月一〇日であり、本件措置がなされたのは同年四月三日であるから、このような短期間で改善がみられないとすることは妥当でないし、園田校長は原告に対して右の改善指導につき何ら確認していない旨主張している。
しかし、佐藤前校長が、右改善指導をしてから春休みに入る同年三月二五日までの間に、原告の言動から勤務態度改善の兆しがないと判断することは十分可能であるし、佐藤前校長からその旨の報告を受けた園田校長が、原告にこれを確認しなかったとしても不当な措置ということはできない。
(3) 原告は、右(1)、(2)の事実をもって、本件措置がPTA等に対する裁判を提起したことのみを理由とする報復人事である旨主張しているが、右(1)、(2)に説示したとおり、右の各事実から本件措置が報復人事であると認めることは到底できず、他に本件措置が報復人事であることを認めるに足りる証拠は存在しない。
したがって、原告の右の主張も採用できない。
3 そうすると、本件措置は適切、妥当なものであり、裁量権の範囲の逸脱あるいは裁量権の濫用には該当しないものであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求はいずれも認められない。
五 以上の次第で、原告の本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官林道春 裁判官田近年則 裁判官松岡千帆)